人と木のひととき

(文・いしはら わたる)

第7回 木は時を刻む

萩焼 (萩観光協会HPより)

 いつのことだったか、休日に(珍しく)ダラダラと寝そべりながらテレビを見ていた時のことである。某番組で、山口県萩市の誇る伝統工芸、“萩焼”(写真1)が紹介されていた。この萩焼、焼き物本体と釉薬の収縮率の違いから、焼き上がった茶器に幾つものヒビ割れが入るのが特徴で、使用の度にそのヒビの間に茶渋が擦り込まれて風合いが変化していくそうである(これらの現象をそれぞれ「貫入」と「七化け」と呼ぶそうである)。この変化(「七化け」)を嗜(たしな)むのがツウのスタンスというもので、日々の生活の中に美意識を見出すのは、いかにも日本的な発想でおもしろい。

白っぽくなったって良いじゃない。

 そして、天賦の木材も本来は「貫入」と「七化け」の美しい素材といえよう。屋外に曝された木材は、紫外線により主要構成成分のひとつであるリグニンの分解が進み、晩材部(注)は浮かび上がり、材色は白っぽいグレーへと変化していく(写真2)。これはクリアの木材塗料を使用した場合でも同様である。日照環境にもよるが、濃色の木材保護塗料でさえ、3年程度のスパンで塗り直ししなければ当初の風合いを保つのは難しいとされている。
 尤も、構造材の劣化はともかくとしても、こうした現象は決して嘆くことではない。おそらくは東寺五重塔や平等院鳳凰堂といった古の名建築も、建立当時と現在とではそのオモムキが異なっていただろうが、そのどちらが美しいと思うのかは個人の趣味の問題だ(ちなみに、鳳凰堂は最近になって「キレイに」改修されたのだが、ごく個人的にはちょっぴり残念である)。  塗装に限らず、昨今の我が国における建築産業は引渡し時の状態を「完成形」として、それを永続的に維持することに重きが置かれすぎている感がある。乾燥材が流通する以前の時代は、構造材でさえ未乾燥のいわば「半製品」のような状態で引渡しを行い、その後の生活の中で職人が都度改修していったと聞いたことがある。もちろん、こうした住宅性能面での不合理は解消されるべきなのであるが、せめて外部に露出する木材については、「七化け」を見越した設計者側と使用者側の心構えがあってもよい。
 素人意見で恐縮なのだが、本当の意味でのスバラシイ木造建築とは、「『七化け』を楽しめる設計と、それを受け入れることのできる心の豊かさを涵養するもの」と定義してみようと思う。
(注) 木材で、夏以降の生長の遅くなる時期に形成される材部を晩材と呼び、この部分は密度が高く、しばしば濃い色にみえる。

 

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