人と木のひととき

(文・いしはら わたる)

第3回 戦争と平和と木材と

 北海道大学の誇る観光名所のひとつに13条門のイチョウ並木がある。手稲山を背景に、イチョウが連なる様は壮観であるが、この並木道の歴史はそれほど深くないという。戦争前はこのイチョウ並木はサクラ並木だったそうで、戦争末期にそのサクラは防空壕の坑木用に全て伐採されてしまったのだという。
 木材は「ぬくもり」や「癒し」などのあたたかいイメージがあるが、太平洋戦争中、資源の乏しい日本においては貴重な軍用資材でもあったようだ。極端な例としては、戦況が終末的様相を呈してくると、特攻専用の航空機体にも木材は使われはじめた。
 『大東亜戦争は愈々苛烈なる決戦段階に進入し、いまや国家の総力を挙げて物的戦力の飛躍的増強を図らねばならぬことは贅言を要せぬところである。(中略)
  この戦時経済の動脈をなす船舶の増強は、鋼船の増強を基軸としなければならぬことは言うまでもないが、いまや寸刻を争う決戦段階に直面し、資材並びに生産過程より見て幾多の制約を余儀なくされている現状において、資源的に恵まれ生産過程の極めて短期な木造船が時代の寵児として登場したのは決して偶然なことではない…(略)』

北大木材工学研究室の古い資料類。
実は貴重なものもあるのだが、
その存在を知る学生さんはあまりいない。

 北海道大学農学部の木材工学研究室の書棚に眠る技術書籍の中には、帝大時代の古い資料もあって、長い伝統を感じる。
その中には戦時中の技術書もあり、上記の引用はそのひとつである『木造船用材便覧』の前文からである。
 これによれば、大戦後半期、250トン級の大型船を含む大規模な木造輸送船の生産計画が国家主導で進められていたようである。もっとも、そのための木材資源ですら不足気味であったらしく、この書中には木材の倹約利用を求める一節もあった。
 こうした切迫した資源状況は、皮肉にも木材技術の進展に貢献することにもなった。かつて京都大学・宇治キャンパスの生存圏研究所を訪ねたとき、木質科学研究棟のエントランスに戦闘機の木製プロペラが飾ってあったのを思い出す。大戦中に木製プロペラの開発が進められ、圧縮木材の技術などは相当に研究されたという。
 しかしながら、少なくとも東亜戦線においては、こうした木材加工技術が戦況に変化を与えることは殆どなかった。これを悲しむべきか喜ぶべきなのかは分からないが、現代文明において木材は結局のところ「生活の道具」にしか成りえないのかもしれない。この野暮ったさゆえに、木材にある種の人間味を感じるのは僕だけであろうか。

 

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